大学の半分を廃校にしよう

昨年(2022年)の出生数が80万人を切って少子化の危機感がやっと社会全体に共有されるようになってきました。
高校教員を長くやっていて、1970年代後半から約10年間に第二次ベビーブームで新設高校の増加、各校のクラス数の増加では足りず1クラス45人から48人まで拡大された学級定員などを経験しました。
第二次ベビーブームが去ってクラス定員が減り40人学級になり、各校のクラス数が減っても口では「少子化」といいながらも、かつてのように荒れた教室は減り授業はやりやすく入試も楽になった・余剰教室が活用できるなど、元に戻っただけでそこに大きな危機感は生まれませんでした。その間に大学はどんどん新設され既存大学も学部を増やして総合大学へ舵をきるところも植えました。

1992年には大学進学率は約26%だったにもかかわらず18歳人口が200万人以上だったので大学入学者は約53万人 ところが2022年には進学率約57%と2.2倍に上昇したのに入学者は約63万人と10万人しか増えていません。2022年の新生児が大学生になる頃には進学率が70%になっても56万人と今より8万人も減るのは確実です。

西暦2000年を過ぎるあたりから いわゆるFランク大学(=Fラン大学)が出現しだしました。Fラン大学=Freeの意味で学力検査の入試を経なくても入れる大学、模試の偏差値が存在しない大学のことです。大学・学部の偏差値は入試直前(たいてい11月頃)の業者模擬試験の偏差値と合格率の統計処理で計算されます。模試で偏差値60の者が半数合格すればその大学・学部の偏差値は60というわけです。たとえ不合格者がいても模試の最低偏差値の者が10人受けて8人合格するような大学には偏差値は存在しません。

実は1970年頃でもこういう大学は存在しました、会社経営の父親が出来の悪い我が子に跡を継がせようとして、社員が大卒なのに社長が高卒では見てくれが悪いと寄付金などを上積みして大卒資格を買うような大学は公然の秘密として存在しました。
しかし現代のFラン大学はそういう大学ではありません、少子化で受験生が減り定員を満たせなくなった大学です。2022年に国公立大学は185、私立大学は598ありますが、私立で受験生が定員に満たない私立大学は284と47%でほぼ半数になります。こういう大学は以前からその傾向があり定員割れが慢性化してる大学はFラン大学になっています。定員割れ=Fラン化ですからそれを避けるために大学定員自体を減らすところが増えましたがそれでも充足せず、定員100人以下というミニ大学は38もあるのに充足率は82%です。大学は留学生などを大量に受け入れて定員を満たし「国際化」などと謳い学費収入をなんとか得ています。

要は出来の悪い受験生でも受ければ合格し4年間を遊んで暮らすことになります、努力せず受験番号と名前だけ書いて合格したような学生が勉強するわけがありません。そんな大学生が卒業して何をするのでしょう。少し調べて見ると小売業が最も多いようです、要は販売店員で30年前なら高卒・短大卒の人がやっていた仕事です。地方の小規模金融機関(旧第二地銀や信用金庫・信用組合)、公務員も多いようです。公務員といっても市役所に勤務している事務系の人とは限りません、いわゆる現業職です。

 

さてこの文の本題はそこではありません。2040年に進学率が70%になるかどうかわかりませんが、仮に60%でも大学へ行かない者は32万人しかいません。1992年なら大学へ行かない者はおよそ150万人いて社会の構成員として職に就いていたのです。もちろん専門学校などへ進学する者もいましたがその者達は仕事のエキスパートとしての訓練を受け数年後に資格や免許を手に社会に出て行きました。自動車整備士、看護師、美理容師、臨書検査技師・・・といった専門職です。看護やリハビリ系などの医療系職種は専門学校から四年制大学へシフトが進んでいます。
そういった人材がこれから不足するのは確実です。1980年代には難関だった自動車整備士は2012年には9割の養成校が定員割れになっていてこの傾向はますます顕著になり、2003年に7万人いた整備士試験受験者が2021年で3.7万人と半減しています。世間ではドライバー不足を言う声が大きいですが、肝心の整備士がいないのでは自動車自体が走れなくなります。同じようなことは専門職分野でおきているのです。

 

言いたいことは大学生を半減させれば約30万人の高卒労働人口が増えるということです。大学の入学定員を半分にすれば受験競争は今より激化しますが、それは大学を目指す高校生が勉強するということと等しいので喜ばしいことです。大学へ入ってもどうせ勉強せず資格も免許もとらず専門知識のない者をつくるより、整備士でも看護師でも社会の必要とされる部署で働く道を示すほうが日本という国にとっては有益なのだと考えています。のんべんだらりと過ごして22歳になるより成人として生きていく力を身につけるほうがよほど有意義です。そしてドイツのように技術を持った者をリスペクトできるマイスター資格を認定し収入を保証することです。

 

大学は本来研究機関です、ズルダラと名ばかり大学設立を認可し続けた文科省への批判でもあります。

 

 

ねこんたフォトギャラリー