10月8日
陶芸の森を出るとちょうど昼食時なので、307号線沿い「うどん・そば」の店に立ち寄りました。1人1300円ほどで定食をたらふく食べて紫香楽宮跡へ行ってみました。
新名神を挟んで南西と北東に遺跡があります。

01:紫香楽宮とあります。

02:1300年ほど前 聖武天皇はこのあたりに毘盧遮那仏を建造しようとしましたが、頓挫して平城京に戻り奈良の大仏(毘盧遮那仏)を作りました。

03:参道

04:上空から下方を撮ってみました。

05:上空からみた信楽高原

06:北東にある発掘現場近くの調査事務所。開館中でしたがスルーしました

07

08:滋賀といえば「飛び出し坊や」ですがこれはニューバージョンか。胸の「雲」は雲井地区です。

09:帰りは307号線から南の木津川へ抜ける道を行きました。多羅尾という地区に「徳川家康伊賀越えの道」という道標がありました。本能寺の変の直後 明智光秀に狙われ堺から三河に逃げ帰った道ですが漠然ともっと南かと思っていました。甲賀から伊賀に抜けたんですね。

10:島ヶ原から南山城・笠置を抜ける163号線・24号線・第二阪奈を通って帰宅しました。
追記
で その後少し調べると徳川家康の伊賀越えにもいろんな説があるようです。必ずしもここを通ったのが確実じゃ無いということです。甲賀に多羅尾氏が築城した小川城があり、ここで1夜を過ごした家康一行がどこを通って伊賀に入ったのかが判然としません。御斎(おとぎ)峠ルートが従来説で私のドライブコースですが、もっと東の桜峠を越えたのではないかというのが最近の有力説だそうです。
さらに奈良県(大和)の宇陀あたりから伊賀に入って柘植に抜ける従来とは全く違うコースも説としてはあるようです。
当時の伊賀は信長に攻められてその盟友である家康にも反感をもっていたので伊賀を通過するのはできるだけ短くしたかったでしょうから、桜峠ルートは最も短く安全だったと考えられます。
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